青年の400文字

いろいろ手を出すがいろいろダメなアノ人種です。

2019/01/15 さぼりすぎた

「人生はゲームだ」について 前に何回か聞いたことある話ではあるけど、久しぶりにそういうまとめを読んだからそれについて。
人生はゲームなのか、こんな不平等なゲームが成立して溜まるかってのが1ゲーマーとしての考えだけど、ゲームかどうかは別として、数千年は続いているものなんだよね。そんなものにうっかり参加してしまって早二十数年。困ったものですね。
一番、理不尽なのはやりたくなくても参加せざるを得ないって点、まあみずから「アカウント削除」することもできるし、日本サーバーでは結構そういう人もいるみたいだけど、自分はまったくそのつもりはないかな。全く糞みたいなゲームの最中ではあるけど、まあ死ぬまで頑張ります。

2019/01/03

幸せってなんだろう。うわなんだこいつって思わないでほしい。
ただ、今年のカレンダーが本当に大好き過ぎて幸せだなあと最近感じているので、それについて書こうと今さっき思いついたのだ。
ポスターとか貼る習慣はなかったし、そもそもそこまで好きなヤツがあんまりなかったのだが、カレンダーもスマホで十分だ、と何もないか、あったとしても無難なやつか戴いたやつしか使った事なかった。だけどね。すきなアーティストのカレンダーを無事にゲットして、飾ってみた。うん幸せ。
なるほどね。好きな俳優さんとかを壁紙にしたりするのってこういう気持ちなのか、遅ればせながら、気づくことが出来た。
なんてこと無く、稚拙な発見だけど、好きなものはやっぱり好きであって、その感情は幸せを産むんだなぁって。いろいろデコる(死語?)人とかフィギュアとかを並べる人、何から何までアイドルの顔写真にする人、その人達の気持ちがなんとなく理解できた気がした。

2019/01/01

あけましておめでとうございます。
無事に欲しかった福袋を手に入れホクホクして家に着き、今年はいい一年になりそうだ、と思った。
でもこの節目ってなんだろう。旧暦ってのがあるように、昔は今日が節目ではなかったのかな?そう思うと今日って何の日って聞かれると、単なる火曜日って答えになってもいいはず。でもこの単なる火曜日を自分を含め多くの人間が神聖なる日としているのは面白い話である。でもこういう節目の日って何かを決心したり、ルールであったりなんであったり、ガラっと変わるにはいい日である気がする。法律とかが変わるのは年度の4月なんかな?
そんな聖なる日の前日、単なる月曜日に、私は来年について占ってみた。
そうしたら、「自分を見つめなおせ、新たな考えを取り入れろ」と出た。
なるほど。
今日という単なる火曜日は、世界の人々にとって聖なる火曜日になり、私にとっても、新たな自分へと生まれ変わる、新しい火曜日となったのだ。

2018/12/30と2018/12/31

ふるさと納税について。
一定金額でどこかに「支援」すると、なにか物が貰えて、なおかつ節税になるというもので、結構人気があるのかと思う。
それが最近ニュースになっていたが、これは以前私が考えていたものであった。
通常は、その「支援」したふるさとの特産物などがもらえて、なおかつ、節税も出来てラッキーという仕組みであったはずが、「支援」したふるさとからまさかのAmazonギフト券が送られてくるのだ。支援ってなんでしょうね。

一番最初に気づいたのは楽天ふるさと納税をみつけた時だった。
見つけたふるさとでは、とあるPS4のソフトであった。その頃からその仕組みはある程度知っていたから、「あ、地元がモデルのゲームを渡すなんてなんて粋なんだろう」と感動を覚えたほどであった。しかし、調べてみると、全然そんなことなく、作者も全然関係ないという始末であった。
その瞬間に気づいてしまった。こいつら、やってるな
勿論気持ちは分からなくない。果物をもらうよりAmazon券をもらった方がいろいろ使えるし、きっと金額でみるとお得になっているのだと思う。

お得お得とお金の効率だけ求めている人、お金が欲しい「ふるさと」お互いがマッチしてこれは生まれたのだろう。メルカリでレシートが売られるくらいだから、世の中のお金ってのは本当に深くて広くて、ずる賢い。

まわりでAmazon券と交換している人がいて、これを書く気になった。
正直、人にも「ふるさと」にも憤りを感じる。
悪い人間だから言うが、そんなことしている「ふるさと」なんて消滅してもらって構わない。ふるさと納税で心の故郷を造ろうなんてパンフレットがあったが、そんな汚いふるさとを心の故郷にしたくはないものである。
自分の住んでいる故郷は特産品がいくつかあるので、こんな汚いふるさとになってないことを願うが、確認はやめておこう。

私の心は汚くとも、心の故郷は綺麗に輝いていてほしいものである。

2018/12/26

さて昨日はクリスマス。 曜日の関係でクリスマス本番は日曜だったのかもしれないが。とりあえず、日も月も私は同性と食事をするという感じだった。いや、たまたまその日に食事に行くことになったわけで、それ以上の意味はない。
ただ、そういう日であったからか、それとも彼女が欲しい友人の作戦会議が始まった。いやというより彼女を作る行為への考え方をぶつけ合う感じだった。
人生はいろいろだし、各自の歩んできた人生でそれをどう受け止めるか、なんて人それぞれなわけで。そこからモテるモテないって環境と初期ステータスと本人の努力とかで決まるものである。
こういう場合、努力が大切派と、初期ステータス大切派に分かれるものであるが、私は正直どっちでもいい。いやどっちも大切だというのが答えだと思っている。こういう話はお互い譲るということがあまりないので終わらなくて、つまらない。だがまあ偶にはそういう話をするのもいいのかもしれない。

2018/12/23

物の価値について。たとえばラーメン好きな人は800円くらいを1ラーメンとして、計算することがある(?)例えば、飲み会5000円を、「これを我慢すればラーメン8杯・・・飲み会を欠席しよう」的な感じ。同じ食べ物だからちょっとわかり辛いけど、服とか靴とかでもそういうのがある(ハズ)
そういうの気にしすぎてしまうとほんとになにもできなくなる気がする。まあよく言えば一つの事にお金を集中できるってことだけど。
そういう風にお金を何かに置き換えてしまった時、一番軽く見られるのは食事である。
最悪、サプリメントと米とプロテインで言い訳だし。
それに一番の無駄遣いって食費な気がする。まあ、食事の中には交遊費も含まれているわけだけど、そういうのがやっぱり減らせるということが分かる。つまり、普段からこの辺が無駄に使ってるってことになる。
ここ最近、外食が増えているが、無駄ではないが、行き過ぎないように注意して生活したい。

2018/12/21

「人生は一度きりだから」
 この言葉が嫌いだ。
これを枕詞に放ってくる事に碌なことがない。大抵は面倒な事だからだ。

「人生は一度きり」だからこそ、お前の考えなんか聞かずに生きていきたいんだよこっちは
だが、この言葉を信じるととても強いという事も知っている。

迷ったとき、少しの勇気が欲しい時、この言葉を唱えれば大抵の事は自分の望んだ方向へ進むことが出来る。

毛嫌いしていたこの言葉を最近は私の武器となっている。
だからといってこの言葉を人に言われたら、絶対にいい思いはしない。
そういう言葉って意外とあるんじゃないかと思う。

もうひとつ、「お前は大した人間ではない」
人に言われると、いやな気分になっていしまうけど、自分で使うとまた、大抵の事は自分に望んだ方へ行ける。
どうせ誰も気にしない。これをしたって他人にはなんの影響もない。と気づくことが出来るのだ。
他人と面倒ごとを起こしたくないと思ってる人間にはいい言葉である。